体罰という名の暴力が問題になるようになってかなりの時間が経過しましたが、なかなかなくなりません。この文章を書いている自分も若い頃に体罰という名の暴力を振るったことがあります。今となっては後悔しかなく、取り返しがつきません。

自分はある人からの言葉をきっかけに、体罰という名の暴力をやめました。その人は次のように言っていました。

「体罰で問題になる人と、感謝される人がいます。感謝される人の方が実は問題があります。」

気になって理由をきくと、

「感謝される人は、体罰のおかげで自分が成長できた、自分がいい方に変われたという、体罰に対する肯定を生み出します。その子どもが親になったとき、自分たちの子どもたちにまた手をあげるかもしれない。体罰という名の暴力、虐待の連鎖が家庭にもひろがります。虐待によって命を落とす子どもも出ていますが、虐待をしている親もほぼ例外なく体罰や虐待を受けた経験があります。教育現場の暴力が虐待死につながっているかもしれません。」

はっとなりました。現在も体罰がなかなかなくならないのは、保護者にも指導者にも体罰の肯定派が根強く存在していることが一因だと思います。自分の若い頃の暴力が体罰がなかなかなくならない状況に力を与えていると思うと重い責任を感じます。

子育てに体罰という名の暴力が入っていい余地は少しもありません。

もう一つ体罰の大きな弊害として、子どもに嘘をつかせるくせをつけるというものがあります。

自分がやった失敗で、暴力を振るわれることが積み重なると、自分の身を守るために嘘をつく習慣がついてしまいます。嘘をつくことで、周りの人との人間関係にかげを落としたり、嘘をつくことに抵抗がなくなり、他の問題行動につながったりすることがよくあります。

一歩引いて考えたときに、大人が子どもに暴力を振るうということが、当事者同士でなく、周りや将来に影を落とすことになる行為であることを理解しておく必要があります。